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東京高等裁判所 昭和44年(う)953号 判決 1969年8月26日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人林徹名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

一、論旨第一点訴訟手続の法令違反の主張について

所論の要旨は、原審において弁護人は法律上犯罪の成立を妨げる理由となる事実を主張したに拘らず、原判決はこれに対する判断を示していないから、刑事訴訟法三三五条二項に違反すると主張するものである。記録によれば、弁護人は原審において、「公訴事実は被告人が酒気解消義務違反の結果、進路前方を進行中の松永陽子の自転車を発見することができなかつたことを過失としているが、被告人は十分に酔いを醒ますため喫茶店で時を過し、衝突地点の五〇メートル余手前から進行方向に向い停車中の大型貨物自動車を発見し、他に通行人、自転車等の障害物のないことを確認して進行したところ、その貨物自動車の前方から突如被害者の自転車が飛び出して本件衝突事故を惹起したものであつて、事前に被害者を発見することは不可能の状態であり、仮りに被告人が若干酒気を帯びていたとしても、道路交通法違反にはなつても、衝突致死の原因とはならず、公訴事実の過失と本件衝突致死の結果との間には因果関係がない」と主張していることが認められる。即ち弁護人は、被告人が酒気解消の義務を果したこと、及び独自の見解から推論して、被害者が貨物自動車の前方から突如飛び出したという別個の事実を主張することにより、公訴事実中の被害者の乗つた自転車が被告人の自動車の進路上を同一方向に進行中であつたとの事実を否認し、その主張事実と公訴事実の過失とを対比して被害者を事前に発見することは不可能であるとの前提のもとに、被告人の過失と衝突致死の結果との間の因果関係を否定するものである。このことは行為の外に結果の発生を構成要件とする業務上過失致死罪について結局罪となるべき事実自体を否定する主張に外ならず、刑事訴訟法三三五条二項の「法律上犯罪の成立を妨げる理由となる事実」の主張、即ち構成要件以外の事実であつて、その事実があるがために法律上犯罪を成立させない理由となる事実の主張には該当しない。原判決は公訴事実の過失を認めた上、「進路前方を同一方向へ向け進行中の松永陽子乗車の自転車を発見することができず云々」と事実を認定して、弁護人の右主張を却けているのである。それ以上刑事訴訟法三三五条二項の主張として特別に判断を示す必要はなく、訴訟手続の法令に違反すると論難すべきものはない。所論は採用できない。

二、論旨第二点事実誤認の主張について

所論は、原判決の、被告人は酒気の解消を待たず酒酔いの状態で運転を継続したため、進路前方を同一方面に向け進行中の松永陽子乗車の自転車を発見することができなかつたとの認定は事実の誤認である。被害者の乗つた自転車が突然貨物自動車の前方を左から右え横断しようとして強風にあおられて左転し、被告人の車両と同一進路に入つた途端に、これに追突したものであつて、被告人が貨物自動車の右側に来るまでは被害者の自転車はその貨物自動車の蔭に在つて発見することは、酒気の有無に拘らず、不可能の情況であつたから、被告人の自転車不発見と衝突致死との間に因果関係はなく、本件事故は全く被害者の過失によるもので被告人には何らの過失はないと主張する。しかしながら、被害者が貨物自動車の蔭から突然飛び出したと主張する根拠として所論の挙げる証拠を検討するに、被告人は司法警察員に対する供述調書において「ダンプカーを避けるようにして道路中央寄りに進行し、ダンプカーの前に出ようとした時、突然ガチヤンと何かに衝突したと思つた瞬間、ウインドガラスが飛び散つてきた」といい、検察官に対する供述調書においては「ダンプカーの前へ出ようとした時、柳津が危ないと叫ぶ声を聞くと同時にガチヤンという音がした」といい、いずれも衝突するまで被害者を全然見ていない旨を供述し、原審公判廷において「被害者がトラツクの蔭から急に飛び出し」「これを二メートル位前に発見するとともに衝突した」と述べ、また被告人の車両の助手席に同乗していた友人の柳津重信は司法巡査に対する供述調書において「大型トラツクの後ろまで行つた時、一〇メートル位前を自転車で西に向つて走つている女の後姿が見えた。思わず危いと叫んだが被告人は聞えなかつたのか、ブレーキもかけずに走つた」といい、原審証人として公判廷においては「自転車が瞬間にトラツクの後ろから飛び出すのを見た」と述べているのである。被害者が貨物自動車の蔭から突然飛び出したことが事実であれば、取調べに当り事故時の情況説明として先づ第一に供述しなければならない事実であるのに、公判廷に至るまでそのことなく、被告人は公判廷においてすら、当初は公訴事実を全面的に肯定して自ら有罪を認め、簡易公判手続によることを決定され、書証の取調を終つた後更めて事実を否認する供述をして簡易公判手続を取消されるに及んで、これを強調している経過より見ると、被告人及び柳津重信の原審公判廷の供述は信憑性が高いとはいい難い。本件事故当日付司法警察員作成の実況見分調書によれば、被告人の指示した衝突地点は貨物自動車の右側路上、同自動車の前端と約二メートル距てて、ほぼ並ぶ地点であつて、同貨物自動車の前面を横断しようとしたという被害自転車の位置としては不合理である。また同調書に示された被害自転車の転倒していた地点、被害者の跳ね飛ばされていた地点の衝突地点よりの距離、方向、及び添付の被害自転車の写真に明示されている破損の部位情況程度よりすれば、被害自転車が真後ろより激しく衝突されたことを明白に示し、横断中、側面に衝突されたと認める余地はない。所論は道路を横断しようとした被害自転車が強い追風にあおられて左転したところえ追突したと弁ずるが、当時の強風が被告人の車両にとつて向い風であつたことは被告人及び柳津が一致して供述しているところであり、これにあおられて方向を転じたとすれば被告人の車両と対向する方向になる筈である。所論の推論が当を失していることを示すものである。これらの事実に、被害者の夫松永光栄の原審における証言によつて推定される。被害者が東海道線南側新川町に居住する山中きぬ方を訪ねる目的で家を出て帰宅するために通行するであろう経路(殊に当時、本件事故現場の近くで本通に交差する道路が、その南方東海道線に出会う附近において工事中であつて通行困難であつたことを考慮して)を併せ判断すれば、被害者の自転車は原判示のとおり本通を被告人の車両と同方向に進行していたと認めることが合理的である。そうとすれば風雨中の夜間とはいえ、静岡市内有数の繁華街、幅員一四・六メートルの直線街路であるから十分な注視を怠らない限り、少くも被告人が駐車中の貨物自動車を発見したという、その五〇メートル位手前において被害者を発見し、衝突を避けるための措置を採り得た筈である。これを発見できなかつた被告人は前方注視を十分に尽さなかつたものであり、それは飲酒の影響により注意力が弛緩していたことに由来すると判断した原判決は相当であつて、事実の誤認は認められない。所論は採用の限りでない。

三、論旨第三点審理不尽の主張について

所論は、弁護人が原審において請求した本件事故現場の検証及びその現場における証人柳津重信、被告人本人の取調を採用しなかつたことを審理不尽と主張するが、元来証拠方法の採否は裁判所の判断に委ねられたところであり、本件の場合原裁判所は証人柳津重信及び被告人については公判廷において詳細に尋問、質問を行つており、検証については事故当日司法警察員によつて作成され、被告人の指示地点を記載した実況見分調書が取調べられており、事故後一年有余を経た時期における現場検証が左程必要なものとは認められない。原裁判所の採証を審理不尽と難ずる理由はなく、またそのために判決理由にくいちがいを来し、若しくは事実誤認を招いたとも認められない。所論は採用に値しない。

四、論旨第四点理由不備の主張について

所論は前記論旨第二点の主張を繰返し、被告人が注意義務を認識し得たかどうか、認識し得たとしても、その義務を履行するために適当な手段をとることが可能であつたかどうかについて判断を示さない原判決には、判決に理由を付さない違法があると主張するが、本件事故前の情況を原判決認定のとおり認むべきことは論旨第二点の主張に対し説示したとおりであり、自動車を運転する者が常に前方を十分に注視すべきこと、飲酒の結果その注視を果せない虞れのあるときは、完全に酒気の影響を脱するまで運転すべきでないことは当然の基本的義務であつて、心神に異常のない通常人である限り認識し得ることであり、その履行は何ら特別の手段を要せずして可能なことである。この当然のことを殊更に判示しないからといつて原判決に理由を付さない違法があると論難する所論こそ全く理由がない。

五、論旨第五点量刑不当の主張について

所論は、原判決が被告人を禁錮一〇月の実刑に処した科刑は著しく不当であるから、刑の執行を猶予すべきであると主張する。しかし本件は被告人が運転免許を得て漸く月余、運転経験も浅いに拘らず、飲酒のうえ、正常な運転ができない虞れのある状態で自動車を運転して風雨の街路を疾走し、前方注視の義務を怠つたことにより、右の虞れを実現し、被害者の自転車に後ろから激突して被害者を三十数メートル跳ね飛ばし、その頭蓋骨を打砕いて死亡させる無残な結果を招いたものである。被害者はなお壮年の健康な一家の主婦であり、まだ母親を必要とする二人の少年にとつて、かけ替えのない母である。これら遺族が理由なく負わされた不幸は金銭をもつて償い得る被害ではない。被告人の罪責は重大といわなければならない。所論は前記のとおり被害者が貨物自動車の蔭から不意に飛び出したという主張事実を前提として本件事故を招いた原因は被害者の過失によるものであり、仮りに被告人に過失があつても極めて軽微であると弁ずるが、その失当なことは前叙のとおりである。被害者遺族に対し自動車損害賠償保障法による責任保険金三〇〇万円の支払われていることは認め得るが、被告人の努力によるものではない。その他記録に現れた一切の事情に所論指摘の被告人に有利な諸点を斟酌考量して判断しても、原判決の量刑を不当に過重とする理由は見出せない。この点の所論も採用の限りでない。

以上のとおり本件控訴はその理由がないから刑事訴訟法三九六条、三七九条、三八二条、三七八条四号、三八一条に従い、これを棄却すべきものと判断し、主文のとおり判決する。

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